宮城にて(仕事の跡)

 先週、一週間の休みをとって妻と二人宮城県を旅した。5年前に1年間、私は宮城県石巻市東日本大震災の復興支援で働き、妻も石巻でボランティア活動をしていた。私はそれ以来の宮城県、5年ぶりである。

 

10月16日、働いていた職場を訪れた。

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更地。完全に移転している。

こんなに広かったのかと周りを見渡しつつ、ずっと気になっていたものを確認した。

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変わらない。あの電柱は傾いたままだった。5年前、この場所にいたことを確信した。

どこか危なげなのだが、どうして直さないのかよくわからない。

 

ここでは渡波(わたのは)漁港で仕事をさせていただいた。万石浦の入り口にある漁港である。

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万石浦。海苔や牡蠣の養殖が盛んだ。海沿いに住家があり、漁船も多い。

とある漁港に行ってみた。

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港と陸地を隔てる高い壁が建設されていた。漁港への出入りは開けられている。
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出入り口には門が付くはずであるが、取り付けの鉄筋がむき出しになっている。。まだ工事が終わっていなかった。

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万石浦沿岸にもコンクリートの壁ができていて、漁船が停泊していた。生活が戻ってきていることを嬉しく思った。この万石浦周辺では、地震の影響で地盤が数十センチ下がってしまっている。陸と海との高低差がほとんどないところなので、陸からの水が流れにくく、強制的にポンプで水を海に流している状態だ。

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現在も本来のポンプ場がまだ完成しておらず、この前の台風19号でこの辺りもいたるところで浸水被害が出てしまった。

震災の復興工事もまだ終わっていない。しかし、近年は大災害が頻発しすぎではないか。明日は我が身かもしれない。天に祈るばかりだ。